昨日は雪でした
ブログを書くのが今日になってしまいました。
とにかく昨日の雪は、首都圏にとっては過酷な降雪量でした。
皆さん何らかの影響を受けられたことでしょう。
首都圏は本当に雪に弱いです。
北国の人たちに笑われてしまいますね。
私は早めに帰宅しようとしたのですが、
考えることはみんな一緒で、駅は大混乱でした。
あまりにも混雑しているので、一旦時間をずらそうかと思ったのですが、
もはや身動きできず外に戻れませんでした。
長い時間待って、体は勝手に電車の中になだれ込みました。
ようやく家にたどり着いて、食事をした後は雪かきです。
雪って重たいし、踏み固まってきた雪を道から引っ剥がすのはまた大変です。
家でニュースを見るとどこも大変だったことがわかりました。
2時間待っている人が映し出されると、私はましだったとほっとしました。
福島 康晴
自動運転車
2019年にアメリカの自動車メーカーGMがハンドルの無い自動運転車を作るようです。
2019年は来年ですよ。
スマホからタクシーのような配車サービスを想定しているそうですが、
実現すれば世界に先駆け一番乗りです。
日本ではいつ頃になるのでしょうか。
出遅れれば自動車産業の競争力が落ちる。
それは日本経済の大きな損失に繋がります。
ましてガソリンエンジンで無くなったら、車は電化製品になってしまうので、
グーグルなど異業種の参入が活発になります。
ところで、私は車の運転があまり好きではありません。
年間走行距離は1,800㎞くらいです。
子供が小さい頃は荷物も多かったので泊りがけは車で移動していましたが、
今はいつも電車です。
自動運転になればもう少し家族と遠出することが増えるかもしれません。
福島 康晴
明けましておめでとうございます
皆様、明けましておめでとうございます。
今年は5日の仕事始めからの翌日から3連休となってしまい、
今日8日が仕事始めの方もいらっしゃることでしょう。
東京地方の元旦は雲一つなく、風もない晴天で気持ちのいい一日でした。
だからと言って元旦は何もやることがないので私はランニングをしました。
二日の日もちょっと風はありましたが晴天でした。
やはりやることがないので、柄にもなく家族と家から一番近い田無神社に
お参りに出かけたら、初詣の人たちで行列ができていました。
田無神社には本殿の脇に何を祭ってあるかわからないのですが、
小さな賽銭箱が置いてありました。
そのため、うちの家族はそこでお参りを済ませてしまいました。
もはや三日の日は何もやることがありませんでした。
平々凡々、それが一番幸せかもしれません。
今年もよろしくお願いいたします。
福島 康晴
2017年も終わりです
今年最後のブログとなりました。
昨日はクリスマスイブでしたね。
私の地元である田無駅周辺は人出、車も多くクリスマス用の買い物客でにぎわっていましたが、
今朝の通勤電車はもういつもより空いていました。
学生が冬休みに入り、いよいよ年末年始のお休みモードが押し迫って来ました。
繁忙期の会計事務所にとって、仕事はしたいけどお客様もお休みで、歯がゆい時期です。
来年の国家予算案も発表されました。
人口は減少していても予算は過去最高の規模のようです。
国債の発行は減少したとはいえ、発行は続いていて国と地方の借金は増え続けています。
年末恒例の10大ニュースが日本、世界と発表されましたが、皆様の想いはいかがでしょうか?
思い返せばいろんなことがありましたが、
次々に新しいことが起きますからすぐに忘却の彼方へ行ってしまいます。
来年はどんな出来事が待っていることでしょうか。
1年間ご拝読ありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
皆様良い年をお迎えください。
福島 康晴
冬至とサンタさん
いよいよ寒くなってきました。
今日からオーバーコートにマフラーと防寒対策フル装備で家を出ました。
今年の冬至は12月22日、今週の金曜日です。
23日からはまた昼が長くなり始めるのです。
もっとも日の入りが一番早い日は冬至の日ではなく、先週の金曜日くらいでしょうか。
このようなどうでも良いことを気にしながら生活していないと、毎日が何ら変化のない日で終わってしまうのです。
今週末はクリスマスイブですが、楽しかったのは子供の頃、まだサンタさんは本当にいるのだと信じていた歳までです。
大人になりその頃を忘れてしまっていた私は、
子供ができても「ウチはクリスチャンじゃないから、サンタは来ない」と粋がっていました。
しかし保育園の保育士さんが「サンタさんは何をプレゼントしてくれたの?」って聞くじゃないですか。
それ以来、下の子が20歳になるまで、うちにはサンタさんはいることになっていました。
それでもやっぱり子供が喜ぶ姿というのは、
親にとって、何よりの素晴らしいプレゼントでしたね。
福島 康晴
忘年会シ-ズン
忘年会シ-ズンですね。
福島会計事務所も先週金曜日に例年通り、忘年会を行いました。
会計事務所にとっては12月というのは繁忙期の途中であり、
仕事上の年末ではありませんが日本人の慣例に従いました。
高度成長期やバブルの頃にはそれこそ温泉地で泊りの忘年会や、
さらに景気の良い会社では海外で、という事もあったようです。
残念ながら私が独立して自分の事務所を持ったのはバブルが終わった後でしたし、
会計事務所は景気が良くても大儲けできる業界ではないので、そんな経験はありません。
もっとも、最近は食事会だけで充分で、
2次会、3次会で午前様の気分ではなくなりました。
そうでなくても12月は飲む機会が断然多いので、
飲みすぎ食べすぎには気を付けたいと思います。
ただ食材では、私の好きな海鮮類が寒さとともに美味しくなるものが多いので、
つい食べ過ぎてしまいそうです。
と共に、日本海近辺の漁獲量の少なさによって
美味しい魚と縁遠くなりそうなのが心配です。
福島 康晴
スタビライゼーション
週末は幹事役を務めているスポーツ系NPO法人の年末イベントに参加しました。
このNPO法人は体幹も鍛えられる「スタビライゼーション」の
普及と指導を目標としています。
この「スタビライゼーション」は、高齢者の転倒防止にも非常に有効で、
今回のイベントにはご老人を指導する機会のあるトレーナーや指導者が参加しています。
イベントの一つとして、この「スタビライゼーション」を経験する時間帯があります。
昨年までは私も参加していたのですが、
今年から肉体の衰えを理由に見学のみにさせてもらいました。
参加している指導者はみんな若く、またこのトレーニングは種目も時間も長いので、
最早私には筋肉が耐えられなくなってしまいました。
その理由は昔、左太もも裏側、いわゆる「ハムストリング」の肉離れの後遺症です。
肉離れによってこの筋肉が2つに割れた状態のままなのです。
右の後十字靭帯の断裂、左の前十字靭帯の断裂と半月板の損傷、
左手首の複雑骨折と、私の人生は傷だらけです。
映画ならかっこいいのですが。
福島 康晴
いよいよ12月
いよいよ今週中に12月に突入しますね。
12月は何かと飲む機会が増えてしまいますが、飲みすぎには気を付けたいと思います。
残念ながら食べられる量も、二日酔いにならない程度の酒量も減ってしまいました。
若い時と比較して、こうした自分の状況の変化に対しては、あまり気になりません。
徐々に、気が付かないうちにこうなっているので、ショックに思うこともありません。
それに比べると、1年の移り変わりは早いので時の経つ速さとともに身に沁みます。
ですが、この日本の細かい気候の変化を感じられることは好きです。
日も短く、寒くなるこれからの時期は、仕事が忙しいほうが気も紛れます。
日が長く明るい夕方に仕事をしているより、
明るいうちに仕事から解放されたほうが気持ちがいいです。
勤労感謝の日も終わりました。
これからの繁忙期の仕事に向けて頑張りたいと思います。
福島 康晴
剪定の時期になりました
我が家に1本しかない木は毎年10月末から11月初めに剪定します。
生い茂っていた枝や葉が切り落とされてしまい、今は気候と同じように寒々としています。
この木の名前は知りませんが、常緑樹なので葉っぱが枯れ落ちることはありません。
例年、春から梅雨時にかけて枝は伸び、葉っぱは青々と生い茂ります。
そして夏から秋の剪定の時期まで成長していきます。
人間でも、会社でも、この木のようにすくすくと成長してくれるとありがたいと思わされます。
しかも、肥料も手入れもしなくていいのです。
毎年、枝も葉も切り落とされてみすぼらしい姿になっても、
また少しずつ枝も伸び、葉も増えて、春から一気に成長していくのです。
気持ちが良いくらいに。
それから、ここ最近、寒さがさらに一段と増してきました。
昨日は、さすがに我が家も遅ればせながら衣替えを行いました。
そして掛け布団も本格的に冬布団を出して寝ました。
福島 康晴
怪我と選手生命
平昌で行われる冬季オリンピックも近いのに、
アイススケートの羽生選手が練習中に怪我をしてしまいましたね。
スポーツ選手に怪我は付き物ですが、場合によっては選手生命に影響します。
怪我で人生が変わってしまうことはよく聞く話です。
レベルは違いますが、私もサッカーでよく怪我をしました。
中学2年生の時に正式にサッカー部に入ってすぐのことです。
インステップキックに失敗して右足首を痛めてしまいました。
それ以来右足で強いキックは出来なくなり、左足で蹴る練習をしました。
そのせいで高校では、ウィングというポジションの左をやらされました。
たまにしかボールが来ないので、
ボールを呼び込むためにフィールドの中に入って行っては、監督によく怒られました。
右膝後十字靭帯の断裂、左手首の骨折、
そして最後は左膝前十字靭帯の断裂と半月板の損傷でサッカーを辞めることにしました。
もっとも、プロじゃないのでその時すでに50歳を超えていましたが。
福島 康晴